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こどものファンタジー

 「xxちゃんのママが恵のホントウのママだったらいいなあ」

 娘は、幼稚園年長くらいか、よくこんなことを言ってきた。お友達の家に遊びにいって帰ってくる度に楽しそうに想像を膨らませ、実の(働く)母に夢見心地でその願いを語ってくれたものだ。気にしない、気にしない、と思いつつも、ひそかに傷ついていた母ではあるが、適当に右から左に聞き流していた。しかしそんなことも何度か続くと、いたずら心もおきるというものだ。あるとき悪びれて「じゃあ、恵のママになってくれませんか、って聞いてあげようか?」と親切に笑顔で聞いてみたら、「コドモは何をいってもいいけど、オカアサンは絶対にそんなことを言っちゃだめなの。こどもがかわいそうじゃない」と大泣きされた。腹が立つより先に、こどものどこまでも都合の良い思考回路に感心したものである。

 この頃は、娘にちょっと怒りすぎかなあ、もっと優しい母にならなければーと反省する日々だっだのだが(娘からも、「もっと優しくしてよ、ママ。私はまだコドモなんだから」と言われていた...)、そんな折に、娘が書いた宿題の作文を読んで驚いた。「...私はママの手とこころがすきです。どうしてかというと、ママの手はちょこちょこよくうごいて、ママのこころはやさしいからです...」。え? やさしい...って。

 そういえば、1,2年前の夏も同じようなことがあったっけ。PCの前で眉間にしわを寄せたママの机にやってきて、「宿題でね、ママの絵を描かないといけないの」。画用紙を手に至近距離で観察する娘に、笑顔を送る余裕もないあきらめモードの母。その10分後、出来上がった絵を見てぎょっとした。描かれていたのは、PCに向っている目の前の日常のママではなく、お花畑で娘と一緒に花を摘んでいるお姫様のような非日常の(非現実的な!)ママだったのだ。たしかに一度だけ、たった一度、公園のあるカフェでシロツメクサをつんで冠を作ってあげたことはあったけれど。彼女にとっては長い今までの人生の中の、ほんの10分かそこらの出来事だったはずだ。それも今は遠い記憶の彼方のことなのだ。

 しばらく前、タイのある子供を収容する施設に撮影に行った知人が、その写真を見せてくれたことがあった。こどもたちの笑顔が光っていて、実に楽しそうなのを意外に思う私の心中を察してか、実際は何ひとつ普通の子供と変わりなくみんな楽しそうに過ごしてたよ、と言われたっけ。

 こどもはいつでも、どこでも、遊ぶために、楽しむためだけに生きている。どんなところからも遊びを生み出し、楽しみをみつける天才だ。過去も未来も眼中にないから、エネルギーのすべてを「今」だけに注ぎ、ただ無邪気に遊ぶことを見つけ、理由なく走り、笑うために笑う。時にはファンタジーの力を借りて、人生を謳歌している。このたくましき姿勢は、オトナも時には見習うべきだと思う。実にうらやましい才能だ。

 写真は、例の花を摘んだことのある近所のカフェにて、ママのサングラスを横取りして機嫌の良い娘。このカフェの建物は、かつてはとある裕福なユダヤ人の別荘だった。今はカフェ兼小さな催事場になっていて、コンサートやこどものためのイベントなどが不定期にある。

Memo
Cafe in der Shwartzschen Villa
Grunewaldstrasse. 55
12165 Berlin
http://www.schwartzsche-villa.de/

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