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On the way 新年に向かって

あと1時間ほどで新年を迎えるベルリンからー

3,4日前に4ヶ月の息子が人生初の風邪を引き、娘がそれを引き取りダウン。息子の鼻をすったり、娘のりんごをすったりしながら、ふたりが普段とても健康であることの幸せと、母親としての実感を味わわせてもらった。などと、やらねばならぬことを山ほど抱えつつもどこかのん気な母であったのだが、案の定彼らの風邪が下火になると、こんどは自分の番となり、一年ぶりの懐かしい風邪のつらさを味わう。その後、気合と自己療法(火を使わないお灸と柔軟体操、そして、水分補給と深呼吸をしながらの買い物をかねた散歩)により風邪退治に成功。

そして迎えた31日の今日。大晦日。なんとか滑り込みセーブで恒例のお節作りに取り掛かれるかなと思っていたら、今度は夫がダウンだ。あてにしていたけれど、ここは腹をくくってひとりで出来るところまでやってみよう、なんて作り出すとそれはそれで楽しく、気がつくと朝の8時前からはじめて12時間ずっとキッチンに立っていた!

お節(もどき)作りは毎年恒例で、大体毎年同じものを作っている。母親から受け継いだ京風。それは毎年手に入る食材によって変化するし、時には簡素化されることもある。毎年かならず実家から送ってもらう丹波の黒豆(感謝、感謝)は恒例だが、紅白のかまぼこは中華食材屋で手に入る冷凍物を使ったり。2年前だったか、どこを探しても赤いかまぼこしか手に入らなかったときは、苦心の作で白いかまぼこの代わりにモッツァレラで代用したこともあったっけ。

毎年おなじお節作りをする時間を持つことで、かえってその年々の違いとか特徴が顕著に浮かび上がってくる。無心でお節を作っているつもりが、気がつくと、これまでのお節作りや、その年々によって変わるお正月のゲストとの時間や、その年にお世話になった人の顔などが交互に現れてくる。

昨年まではたいてい自分を入れてお節作りは私の親友を含め3人が主力メンバーだったのが、今年はひとりだから、かえって考える時間が多かった。お節といってもひとつひとつはシンプルで、ほとんどの食材は決して高いものではないけれど、品数が多いために案外手間暇がかかる。そうすると、出来上がったときにはすごく贅沢な気分になるもの。お節の起源は調べたことがないが、お節はこうしては昔から人に豊かな実感をもたらしてきてくれたのだろう。

夫も数年前からお節作りに積極的に参加してくれるようになり、得意なレパートリーもいくつかできたのだが、今日電話でこんなことを話していたのを小耳に挟んだ。「お節なんてこどものころは美味しくも、ありがたくもなんともなかったけどねえ、迷惑なくらいで。でもこうして毎年作るようになると本当に楽しいし、おなじ食べるのでもお節ってもののありがたさが身にしみるよ」。めずらしくいいことをゆうなあ。といったら怒られるかもしれないか。少なくとも中学生の作文コンクールであれば入選間違いなし。なんてこれまた失言。

昨年までは、キッチンと居間をいったりきたりせわしなく、危なっかしかった娘。暇をもてあまして普段はあまり見せないビデオを見せて気を紛らわしていたものだが、今年はエプロンをつけて「お正月が楽しみで仕方ないよ、ママ。お節つくるの手伝うよ、何すればいい?」といって、率先して手伝ってくれた。エプロンをつけて、午前中一杯、野菜を切ることはすべてといっていいくらい彼女がやってくれた。新生児の世話もしつつ、一人ですべてやらなければと思っていたので、感涙するほどうれしく、親としてその成長振りが誇らしくもあった。―というのもまあ、実は買いかぶりすぎで、ここ数日体調が悪くあまり食べられなかったので、キッチンで料理を手伝えば「味見」と称していくらでも食べられる、という下心があったようだ。まあ、それはそれで知恵がついてきたと思えば、ありがたい成長の証ではある。

お節作りは娘が生まれた約7年前から初めたが、昨年までは3人だった家族のメンバーが今年は4人に増えている。たくさんの食材に囲まれて暖かなキッチンに立っていると、今年もいい年だったなあと思われてくる。それ以外のことは忘れる日があってもいい、いや、思い出せない。それが大晦日。

さあ、年越しそばならぬ、年越しうどんの準備にかかろう。

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