berlin cafe and more

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とりあえず、コーヒー。

大変ご無沙汰しております。
みなさん、おかわりありませんか。
こちらは、相変わらずのんきに、
かわらず元気に暮らしております。

気がつくと、40回目の誕生日を迎えてしまいました。
そして、体調を整えるために、
ご飯にちょっと玄米をまぜるようになり、
そのおいしさに開眼しています。

30代後半から、体の衰えをひしひしと感じますが、
体の声が聞こえるようになったのは
養生できるのでいいことだと思ってます。
それに、精神的には年々自由になっているような気がします。
つまり気持ちの持ちようで、どんなことも、どんな風にもなると、
そういうことを実感することが
多くなってきたということでしょうか。

喜びを、喜びとして素直にとらえ、
悲しみの中に、慈悲と希望を見出し、
つらい出来事の中から、教訓を学び、
よりより明日への可能性につなげる。
怒りは、お風呂で水に流して、大事にしない。
それが、理想です。

ところで、
こどもの「音読」の宿題にこんなのがありました。

「おおきくなるってことは、
ようふくがちいさくなるってこと」

「おおきくなるってことは、
あんまりなかなくなるってこと」

大人ヴァージョンはさて、どうなるでしょうか。
大きくなる=歳をとるということは、当然のことながら
ただ、体が老いていく、ということだけじゃないと思います。
じゃあ、何でしょうか。
「歳をとるということは...」

たとえば「歳をとるということは、賢くなるということ」
なんていうのも考えられますね。

いろいろあると思いますが、さて、
あなたなら、どのようにつづけますか。

私にとって、「歳をとること」、
それは、「より多くのことを知り、伝えること」
のような気がしています。
ひとつでも多くのことを知るために、
人は生きているのではないでしょうか。
そしてそれを、誰かに伝え、残す、あるいは
何らかの形で誰かか何かに役立てるために。
少なくとも、知ることが私にとっては人生の活力であり、
原動力です。

ただ、知りえたこと、知りえることの中には、
いいこともあるし、そうでないこともある。
そのときに、それをどう捕らえるか、ということも重要ですね。
そうでないと、知ってしまったこと、ひとつひとつに
いつまでも振り回されてしまいます。

いいことは、いいこととして、
そうでないことも、ただ拒絶するだけでなく、
客観的にみつめられることが大切で、
そのことについては日々、学ぶことばかりです。

もう随分前のことのように感じていますが、
先日空き巣に入られてしまいました。
家中があらされて、PCや、幾ばくかの現金など、
失ってしまいました。

まずは夫は警察に連絡をして、その次のひとこと。
「とりあえず、コーヒーでも淹れようか」。
と場にそぐわない明るい声を発して、
書類から衣類から、ひっくり返されて、
山脈となっている部屋を一瞥した後、
手付かずで普段と変わらない、シンとしたキッチンへ
カプチーノを入れにすたすたと...。
ショックが大きすぎて、おかしくなったのかと思いました。
(実際、そうだったかもしれません)
それから10分(もしかして5分だったかも)、
山脈の谷間にスペースを見つけて、
呆然とすわっている母娘の前に
のんきなカプチーノが着地。

当然のことながら、こんなときに飲んでもおいしいわけはなく、
まったく味なんてものは感じなかったのですが、
無意識にいっぱい飲み干す間に、
怒りとか、悲しみに打ちひしがれるタイミングを
どうやら失ってしまったようです。
気がつくと、被害がものだけでよかった、
ということになっていました。

鉢合っていたら、素手ではなかったでしょうし、
危害を加えられていたかもしれません。
所詮、なくなったものはモノに過ぎず、
私たち自身は無事で、こんなことがあっても何不自由のない
生活をつづけることができる。

ドロボーは、一時しのぎのお金を作るために
モノをとることはできても、
私たちの家や、生活や、人生を持っていくことなどできないし、
私たちのベルリンに対する思いや、この家への愛着まで、
盗られてなるものか!

ということになり、今後はこの世にこういうことを
生業として生きている人がいるという現実を受け止めて、
安全面に気を配らなければ、という教訓を得ました。
もっと気を引き締めていかんとあかんよ!
と、ドロボーにお灸をすえられた感じですね。

その後すぐに、取材で急きょパリに飛ぶことになり、
気を取り直して撮影に励もうと思ったら、
飛行機は重たい雨の大歓迎の中を到着。
結局、滞在中の3日間、毎日午後は土砂降りの雨でした。
一瞬、晴れ間がのぞくことを願って、
ずぶぬれになりながらも移動していたのですが、
その甲斐もあまりなく、たいした撮影もできないまま、
梅雨のように重たく、長く、しぶとく、雨が降り続きました。

そんなときに入ったカフェの写真がこれです。

写真よりもスケッチをしたほうが絵になりそうな、
恰幅のいいおじさん。

熱心に何の記事を読んでいるのでしょうか。

シャッターの向こうには雨が確かに存在していますが、
気がつくと、いつのまにか雨のことを忘れていました。

この後、雨がやんだかどうか...
それは、語るには及びません。
が、あえていえば、結局はやみませんでした。
しかし、やんでもやまなくても、
雨は意識から飛んでしまったので、どちらでも同じことでした。
しかし晴天にでもなれば、もちろん、すぐに天気が意識に戻って
それはそれで大喜びででかけたことでしょう...

今年のモットー。

「雨にも負けず、がんばるぞ」ではなく、
「雨が降ったら、カフェでひとやすみしょう!」

 

comment

by noriko (22.Jun.2009 / 15:53)

こんばんは、お久しぶりです!
ayaさんの「怒りは、お風呂の水で流して、大事にしない」という言葉がいつまでも心の中に残っています。今の私にとっては必要なことです。それに比べて子供ってすごいなぁと感じています。すぐにイライラしないし、話を理解出来なくてもそのように努力するし、失敗しても何度でもあきらめずに挑戦するし. . . 私も見習わないといけません(苦笑)。

ご主人の冷静な(そうではなかったかもしれませんが)態度は素晴らしいですね!もしかしたらコーヒー効果もあったのかもしれませんね。私もドイツで財布をとられたことがあって、そのときは半泣き状態でした;

40才を迎えられたとのこと、おめでとうございます!これからの仕事もプライベートもハッピーな日々でありますように. . . 。

p.s...Hugendubelのカフェのリンク、ありがとうございました!

by aya (22.Jun.2009 / 19:59)

Norikoさん、

お祝いの言葉をいただきありがとうございます。
自分ではまだまだ大人になりきれてないように思うのですが、
親になり、もうすぐ小学生の保護者にもなり...と、
下から押し上げられる形で、あれよあれよという間に
オトナになり、しかも気がついたらこんな年齢に、という感じです。
これからは、大人である自分を自覚して(今頃!)
ひとつひとつ大切に、いい歳を重ねていきたいものです。

改めて考えると、
こどもって、確かに立派ですね。
世の中のこと、ほとんどまだ何にもわからないのに、
堂々と、生きてる!
しかも、ほんの些細なことにも喜びを見出して
毎日、なんだか楽しそうに。
どうやら、飽きっぽくって、
ひとつのことに集中することができないことが
案外こどもの学習能力とか、
幅広くものごとを吸収するために役立っているようですよ。
忘れっぽくて、怒りも溜め込めず、
素直にその時々で生きている生物。
ばかみたいで、かしこい生き方してますよね?!

by Jakob (23.Jun.2009 / 16:03)

お誕生日おめでとうございました☆今回のayaさんのDiaryはとってもタイムリーで、そうそう、そうなのよねぇ~とひとつひとつの言葉を身体にしみ込ませて読ませていただきました。
「雨が降ったら、カフェでひとやすみしょう!」
はちょうど今日、私の頭の中にも浮かんできたこと。頭の中に雨が降っていた今日、明日はカフェで雨宿りします。
「伝えること」は知ることよりも難しいなぁと思っている、今日この頃です。でも本当に知ることができれば、自然と人には伝わってしまうものなのかもしれないとも思えます。ということは、「知る」ということがなかなか難しいのかなぁ。

by aya (24.Jun.2009 / 22:42)

Jakobさん、

なかなか興味深いコメントをありがとうございます。
なるほど、「知る」こと自体が
実はすでに「伝達」の一部なのかもしれませんね。
そうやって人は進化してきたし、
これからもしていくのでしょう。
そう思うと、正しく伝達するために
物事を正しく判断し、理解すること、
つまり真に「知る」ことって本当に大切ですね。

案外、たくさんのことを知っているようで、
本当は何も知らないのかもしれません。

しかし、どんな些細なことでも、
知らなかったことが、自分なりにでも
ひとつわかると、楽しいですね。
仕事や、生活や、今の人生において
何の役にも立たないようなことでも、
昨日知らなかったことを
ひとつでも今日わかるようになったら、
それこそ、それが生きている証。
そんな風に、ふと思いました。