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Cafe C

「私の絵の中に、何かを象徴しているものが表されているとしたら、それは意図的なものではない。結果的に生まれたものであって、求めたものではない。それはあとで見つけ出されたものであって、見る人の美的感性でどうにでも解釈できるものだ。」

牛は力、木は人生。馬は自由、窓は自由への渇望。

彼の絵の中に繰り返し現れてくるモチーフに象徴される意味が一般定義されているかたわらで、彼はそれは無意識下の産物であり、しかも見る人によって違っていいという。

絵は心を映しだす鏡だ。しかし知識を得れば得るほど、描きだされるものは心の本質から遠ざかっていく、あるいは核がオブラートに包まれてしまう。魅せるテクニックを駆使し、しかしテクニックにおぼれず、素直に自分をあらわしていくことを恐れない勇敢さ。あるいは無垢の力。彼の絵をはじめて目にしたときからずっと、いろいろと気になっていた。こどもがのぞき見る大人の世界のような神秘性があって、なんといっても登場人物がみな紙の上で浮遊しているのだから。

フリードリッヒシュトラッセ駅からテレビ塔に向かって、高架下沿いにカフェやレストラン、アンティークショップが立ち並ぶ。「CAFE C」はその中の一つだ。Cは彼の頭文字、シャガールのC。

なにか軽食をとメニューを開くと、ロシア料理がならんでいる。吹雪の中を逃げるように後にしたところだったから、寒国の食べ物は冷え切った体を十分に温めてくれた。しかし、なぜロシア料理。フランスの画家といわれている故、シャガールはてっきりフランス人だと思っていたのだが。

共働きで決して裕福とはいえない両親の下、シャガールは9人兄弟の末の子として、ロシアのとあるユダヤ人の村に生まれたという。ユダヤ系ロシア人だった。パリに来たのは20歳を過ぎてからだ。当時のサンクトペテルブルグでは許可証がないとユダヤ人は滞在できなかったというし、一時は牢獄に入れられたこともあるようだ。

迫害から逃れるため国を渡り、アメリカにも逃れた。パリに数年滞在後、ロシアにいったん帰ってはまた戻り、後に安住の地として南フランスを選びフランス国籍を取得してはいる。それでも彼の絵の真髄は、家族との楽しい思い出の詰まったロシアの生まれ故郷や彼自身の生い立ちに直結しており、フランスやヨーロッパの影響をあまり受けていないという。

忘れもしない、ちょうど10年前。フランクフルトに住んでいた時に訪れたマインツのSt.Stephan(聖シュテファン)教会を思い出す。ここにはシャガールが晩年にデザインしたドイツでは唯一のステンドグラスがある。ドイツとユダヤの平和の架け橋となるように、と依頼を受けたのが80歳も後半で、未完のままこの世を去った。享年97歳。

未完成の部分は当時は色付けされないままあえて残されていたが、今はどうなっているだろうか。教会のどこまでも高い天井を得て、かの登場人物たちは、蒼い空中を上へ上へと立ち昇っていくかのようだった。一見楽しいおとぎばなしのような純朴なタッチのなかに、人間の不可思議さ、奥の深さ、悲しさ、暗さなども透けて見えてくる。

心理学的には絵の中の人物が宙に浮いているのは、それを描く人の寂しさや、不安、両親にかまってもらいたいという心情を表すことがあるという。もしそうだとすれば、彼は見事に自分の心を紙に映しだし、描くことで癒され、それを生きる原動力として天寿を全うした幸せな人だ。

「カフェ C」では高架下ならではの丸みを帯びた天井に彼のレプリカがふんだんにあしらわれている。おなじみの登場人物たちは、紙の上よりもいっそう自由に舞い、さらに生き生きと平面から飛び出してくるかのようだ。これは、ベルリンが彼が初めて個展を開いた街ということといくらか関係しているのだろうか。

蒼い世界にろうそくの灯がゆれる空間は、お店に入るとぐんと広がりを増す。カフェをひとくち含むと、頻繁に発着しているはずの電車の騒音すら何時しか耳に入らなくなっていく。(Mar. 2007)

 

  • 02.Apr.2009
  • by aya